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悲劇を生んだ距離

15年ほど前、友人の結婚式で会津を訪れ飯盛山に行った時、自分の子がその年代になったらぜひ連れてきてみたいなと思っていた。

今回はその絶好のチャンス!

ま、ことが戦争の話だけに本人が何も感じないというならばそれでいいし、何かを感じてくれればそれにこしたことはないの考えでの再訪となった。

白虎隊は16~17才の少年剣士たち。

本来ならば会津藩の将来を見据えて日々勉強をしているはずの子供達だ。

これが結果悲劇の主人公となってしまう。

戊辰戦争で西軍に圧されていった会津藩はいよいよこの少年達を戦場へと送り出すまで追い込まれていった(実際はこの子達よりも年下の子達も戦死している)

悲劇というのはね、小さな偶然がいろいろ重なって起こるんだよね。

本来であれば戦場まで行くはずのない彼らが指揮者とはぐれ「このまま犬死にするのはごめんだ」と少年の考えで戦いの場に赴いてしまう。

隊の半分を戦いで失った彼らが行き着いた場所がこの飯盛山。

『会津は負けたのか?』『会津が負けるわけがない!』そういった葛藤の中、飯盛山から市中を見れば、炎に包まれたような会津鶴ヶ城。

この火が彼らに会津陥落と印象付けてしまったようだ。

そして行き場を失った彼らの選択が自刃。

おいらはね、どうして16才やそこらの少年達が死ななければいけなかったのか・・・そしてそのように見えてしまった距離というのにとても興味があって飯盛山に登った。

Byakko ←自害した場所にある白虎隊の像

そしてそこから見える鶴ヶ城がIimori

鶴ヶ城の中心に赤いポールが立っている。

これが悲劇を生んだ距離。

実際は会津藩老中・西郷頼母の家屋敷を焼いた炎(西郷頼母の妻・娘たち婦女子24人が足手まといになってはならぬと壮絶な自害をした建物を西軍が焼き払った)だったわけだが、この距離から見れば城が燃えてるように見えてもやむを得ない。

戦後生き残った藩主・松平容保公も「その忠心は後世まで忘れられることはない」と賞賛したという。

そんな白虎隊魂・・・娘はね「ならぬことはならぬものです」という言葉がひどく気にいったようで・・・息子ナルピーは・・・・次の世代までおいらが語り継げよう。

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◆お出かけのこと」カテゴリの記事

コメント

ホッシーさん、旅行記待ってました。歴史って、学校の授業や本で読んで学ぶだけじゃなくて、実際にその場所に出向いていって感じてみる、って言うことが一番の勉強ですね。自分で感じる、それが大切ですね。
我が家の長男、野口英世記念館で本をねだったものの、その後母親に一度読んでもらっておしまいになっている様子。ありゃりゃ、って感じです。

投稿: 新橋オヤジ | 2006年9月 3日 (日) 17:12

新橋オヤジさん、こんにちは。

野口英世先生の記念館・・・行ったですよ。
あぁ・・これが新橋オヤジさんが言ってた!と思いながら見てたら感慨深いものがありました。
あ・・中には入ってないんですけどね。
生家をひと目だけでも見てくるか・・と、そちら側に向かったのですが、ちゃんと外からでは見えないようになってました(笑)
猪苗代側にはまた新しい建物をつくってましたね。

なんせ時間がなかったもので・・こんなんですみません。

投稿: ホッシー | 2006年9月 4日 (月) 12:33

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