あんまり緑が美しい
今日これから死にに行く事すら忘れてしまいそうだ
真っ青な空 ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧はもうセミの声がして夏を思わせる。
作戦命令を待っている間に
小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは小鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日十三時三十五分 いよいよ知覧を離陸する
なつかしの祖国よ さらば
使いなれた万年筆を“かたみ”に送ります。
多くの特攻隊員が家族に遺書を残して飛び立っていった。
その中でも特に印象に残ったのが上記。
達観してしまってるようなごとくだ。
知覧はとても美しい街並み・・・そんな中、悲しみを伝えるこの場所がある。
いや・・・悲しみを伝えようとしてるわけじゃないな・・・今の平和の裏にはこのような事実があったと・・・そしてそれを忘れちゃいけないよと教えてる場所だ。
この平和会館にはゼロ型戦闘機や隊員たちの遺詠・遺書、その他大東亜戦争にまつわるいろいろなものが展示されている。
おいらがいちばん心に残ったのは、遺書や写真を語りで伝えていた施設。
とても生真面目そうな年配の男性が淡々と事実を語っていく。
←写真は毎日新聞の記者が戦時中この地を訪れ撮ったものだという。
悲しげな犬のまわりに5人の特攻隊員の若人たち。
記者が「あなた達はいつ行かれるのですか?」と訊ねたところ
『はい、私達は明日行きます・・・でっかいのを沈めてまいります』と答えたという。
「明日・・・死ににいきます」という彼等がつくるあまりの笑顔に驚き、記者は一枚写真を撮らせてくださいとなったのがこの有名な写真だという。

←平和会館の隣りに復元された『三角兵舎』
出撃命令がくだされた隊員達は最後の夜までこの半分地面に埋められた粗末な建物の中で数日間を過ごした。
最後の夜には『明日死ななければならない自らの運命』を想い泣き続けた隊員達もいたという。
それも翌朝には笑顔となり、『九段(靖国)で会おう』と仲間と誓い合い逝ったという。
なんたる・・・現実か。
実際この作戦がとられた時には日本は敗色濃厚で戦闘機もまともなものは少なくなっていった。
燃料は片道分・・・最後には離陸は学んでも着陸の方法を知らないまま飛び立っていったものもいる。
まさに“必死”
おいら達はそんな心境な時この言葉を使う「必死な想いだよ」と。
しかし彼等のそれはまさしく必死・・・必ず死ぬ。
そんな話をホールに集めて話してくれた場所であった。
この知覧の地には「鳥浜とめ」さんという特攻の母と言われた方がいた。
近くで軍用指定食堂とされたお店のお母さん。
自分の財産をすべてなげうって彼等に尽くしたと言われる人だ。
隊員たちは彼女を「お母さん」と慕った。
すでに故人となられているが、会館の中に彼女の生前の言葉が流されている場所がある。
『私はねぇ、お母さんなどと言われてるけど本当の母親ならこれから死にに行くっていう子供を体を張ってでも止めるでしょう?でもね私は「行ってらっしゃい」と送ったの・・・お母さんなんかじゃないの』という想いもあられたようだ。
『特攻の方々が逝かれるときはにっこりと笑って、嫌とも言わず、涙ひとつ落とされませんでした。さぞ肉親の方々にも逢いたかっただろうに、日本を勝たせるために、早く逝かなければと、ただそればかりを言っていました』と結んでいる。
百日にわたる神風特攻作戦による 身はたとへ 敵艦船と砕くとも
戦死者 4379人 七度生きむあかきこころは
参加特攻機 3461機 ありがたき御代にうまれてやくだてる
敵艦的中機 132機 そのよろこびにわれはゆくなり